私は、宮間あやのファン、父親のブログで彼女の小学校時代からのサッカー人生を読んでいた。
7月6日のまさかの結果に破れかぶれ、暫く止めていたタバコを吸った、
悪夢から時間が経ったのでやっと女子サッカーのことを書く気になった。
女子サッカーの三大世界大会は、オリンピック、ワールドカップ、そしてアルガルベカップ。
今年3月ポルトガルで行われたアルガルベルべカップでは、アメリカが優勝、日本は9位だった。
それでも今回のワールドカップでは1点差ながら全勝でファイナルまで勝ち進んだ。
全試合、正座はしていないが、そんなつもりでテレビを見続けた。
アメリカは、オーストリア戦3-1、スウェーデン戦0-0、コロンビア戦2-0、中国戦1-0、ドイツ戦2-0
つまり、累計得点は、たったの8点、1試合最高でも3点、スウェーデン戦では無得点だったのである。
更に言えば、アメリカの失点は、5試合で1失点、そのアメリカから日本は2点獲った。
あの日のギリシャの国民投票もアメリカの5得点も想定外のことが起こったのだ。
殆どの人がなでしこは、よくやったと称えた、
とても、私はそんな気持ちになれなかった。
決勝戦での2位は全く無意味、宮間あやの泣きはらした顔を見てそう思った。
数学者でエッセイストの藤原正彦は、
卓越した技術を持つ宮間あやは、キャプテンとしての理論的および精神的支柱ばかりでなく、
日本の良き文化の伝道者でもある。
と言った、私も全く同じように思っていた。
前回、澤穂希が最優秀選手、
今回、宮間あやが最優秀選手になって欲しかった。
決勝戦を前に宮間が語った、
〝女子サッカーをブームではなく文化にしたい。〟
今、球技で日本が頂点に立てるのは、女子サッカーしかない。
来年のオリンピックでリベンジして欲しい、
でも、もう、彼女にそんなプレッシャーを与えたくない。
〝女子サッカーを文化に〟は、関係者の努力を待ちたい。
父親は千葉九十九里にある市の市会議員、その父親が作った少年サッカーチームで小学校1年からサッカーを始めた。
小学校1年から3年間不登校が続いた、それでも両親は学校に行けと強要しなかった。
16才の時千葉から岡山美作に行った。
温泉宿で浴場の清掃のアルバイトをやりながらのサッカーの練習。
そして高校卒業と同時に同地で旗揚げしたチームの一期生に。
地域活性策でスタートしたチームの主将として国内では他のチームに移籍することもなくここまでやってきた。
だから、W杯優勝後、東京でのテレビ出演を全て断り、まっすぐチームのある岡山に帰った。
彼女は、今、声だかに叫ばれている地方創生を彼女なりにになってきた。

自分の中で一番自信があるのは、サボらずにやってきたこと、
4年間で一日も「今日はこれでいい」と思ったことはない。ここに立てるのは選ばれた18人だけ。
大切な思いや大切な人たちがいて、私たちは戦っている。
ここからの6試合、お互いのために戦おう。
下手な選手がいるなら、巧くなれるように助けてあげればいい。
私は、試合には勝ちたいけれど、ただ強いだけのチームに入ってチャンピオンになりたいとは思わない。
『一緒に戦いたい』と思える仲間がいるチームで、日本一を目指したい。
やっぱり相手がいないと試合できないですから。
試合中は敵ですけど、試合が終わればひとりのサッカー仲間ですし。
そういう風に相手にも思ってもらえるような、自分たちもそういうチームでありたいと思いますし、また自分たちも相手にそういう敬意を持って戦わなきゃいけないと思っています。
私は、『辛かった』と、ひとことも言ったことはないんです。
だって、サッカーは仕事なんですよ。
『仕事が辛い』って言っているのは、ダサいじゃないですか?
私には私の夢があるように、夢や目標は一人ひとり違うもの。
ですから、いまやりたいことが見つからなくても焦らなくていいんじゃないかな。
深く考え込まず に、まずは自分が笑顔で過ごすにはどうすればいいのか、何をしていると笑顔になれるかを考えてみて欲しい。
その中からふと答えが見つかるかもしれません。
サッカーは、失敗のスポーツ。
狙ったことの殆どはうまくいかない、うまくいくのはたまのスポーツ。

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