大判小判がザックザクは童謡や絵本でしか知らない。
〝裏の畑でポチが鳴き、正直じいさん掘ったれば、大判小判がざっくざく.
昔話花咲爺のカラクリ人形の世界。
死ぬまでに一度は実物を見ておきたいと日銀本店の前にある貨幣博物館に行ってきた。
以前見学した日銀は、NETで予約する必要があるが貨幣博物館は不要。
展示してあった一番大きな貨幣は、ヤップ島の石貨、石灰石で作られた直径が1m以上の円盤、持てないからころがしたらしい。
一番小さいのは琉球の貨幣、1cmにも満たない、ただの金属のリングにしか見えない。
大判は、手のひら、小判は指の長さぐらい、実際はあまり使われなかった?
でも、ここ掘れワンワンの作者は大判も小判も知っていたのだろう。
食パン2個分の小判を持ってみた、かなり重い、20㎏、
現在の価値で幾らとあればいいのに、そんな下世話な説明はない、何しろここは、日銀の分室。
所沢から西武線で小1時間、そこが終点の秩父。
奈良時代、その秩父で銅鉱が発見され、それで鋳造したのが和同開珎(かいちん)。
中世、日本から刀剣、銅、硫黄を中国に輸出、中国から絹織物と貨幣が輸入され、その中国貨幣が使われるようになった。
江戸時代に入るや国産の貨幣が出回る。
ところが、普段の買い物はお金は要らなかったらしい。
節季払いと言って盆暮れに支払う、つまり半年に一回払えば良かった。
江戸っ子は宵越しの銭は持たないは、
そんなことが出来た理由は諸説ある、
もしかしたらこの節季払いのおかげ?
コメ相場が現在の原油などの商品先物取引の原型、
そして半年に一回払いは、現在のクレジットの先駆け?、
カードもサインも要らない本当の信用取引、それだけ江戸時代は安定していた、
だから、凶作になれば、幕府は徳政令を出して庶民を助けた、
それでも百姓一揆が起きたが、・・・・
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貨幣博物館
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