浅間山が噴火したらしい。
東京から千葉県の九十九里に疎開したものの戦況が悪化、父は海に近いので米軍の艦砲射撃が心配になったらしい。
それで、父だけそこに残って、母、祖母、叔母、兄弟三人は、浅間山の麓に再疎開、そこで終戦を迎えた。
小学校に入る2年前なので殆ど記憶がない。
千葉に居た時に遠くに焼夷弾で燃え盛る夜空を見たことがある、
しかし、群馬の山奥の浅間山にはB29が飛来することもなく安全だった。
九十九里の小学校に入学した。
毎週火曜日が憂鬱だった。
その日は、代用食の日。
“東京ではお米が食べられません、毎日が代用食です、だからみんなも週に一度は代用食を食べましょう”が先生の説明だった。
この代用食とは、パンのこと、
今でもパンは嫌い。