以下は、5年前の終戦記念日にに書いたものです。
台風の影響はまだなく九十九里浜は穏やかなのがライブカメラで確認できました。
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今日という特別なの日について多くの方がいろいろ書かれている。
で、私の全く個人的な話、・・・・・・
東京の空襲を見越して千葉県の九十九里に疎開、更に親爺だけそこに残って,我々一家6人は、群馬県の山の中、現在の万座温泉の近くに一時的に避難、そこで終戦を迎えている。
住んでいた千葉の町は全く無傷。
万座の風景は、記憶にあるけど節目の8月15日の記憶は何もない。
夏になってもスイカは食べない。
スイカとさつまいもは、千葉で死ぬほど食べたから。
所謂、戦中戦後の食糧難を知らない。
終戦後の2年目に小学校、5年生までそのまま疎開先に居た。
〝都会では、お米が食べられない、せめて週に一回は、代用食のパンにしましょう〟と先生から御達し。
毎週、火曜日が『代用食の日』、この日はパンを持っての登校日。
あの頃のパンはうまくないから迷惑な話だった。
さっき、ストリードビューで九十九里を尋ねた。
駅も住んでいたところも小学校も確認できた、でも記憶と全く重ならない。
木造校舎は、立派な鉄筋コンクリート!
しかし、太平洋を望むライブカメラは、あの頃と変わらない穏やかな海。ライブ映像
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