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Channel: 老$の徒然草
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新型雪上遊具 スノースクート

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       $老$(オイドル)の徒然草

私の世代の子供たちは、スキーよりもスノーボードをやっている。
スキー、スノボときて、次は「スノースクート」が流行の兆しだとか。
右上の写真の通り、自転車とスノーボードを合体させた乗り物、これなら簡単に乗りこなせそうだ。
(スクートは、scootらしい、scoot=急いで行く、scooter=スクーター/手軽に乗って走るもの)
やってみたいが、もうスキーをやらなくなって40年近くなる。
もう少し若かったら、・・・・・・

初めてスキーをやったのは、会社に入って初めての冬。
先輩と一緒に出張した時にその先輩の奥さんの実家に泊まった。
そこは、新潟県の雁木で有名な豪雪地の高田市、今は上越市になってかつてほど雪は多くないらしいが。
スキー場と言っても街中の小さな公園、小高い丘があって、そこを滑る、近所の子供たちがスキーで遊んでいた。
確かリフトもなかったのではないか。
しかし、その場所が日本のスキーの発祥地だったのである。
オーストリアのレルヒとかいう大佐が高田連隊の兵士にスキーを教えたところだった。

まだ学生時代だったと思うが、オーストリアの金メダリスト・トニーザイラー主演の「黒い稲妻」か「白銀は招くよ!」の主題歌がよくラジオから流れた。
もうその頃はスキーを止めていたが、1987年の原田知世の「私をスキーに連れてって」は今や懐かしきバブル期の映画。

最近テレビで取り上げられたスキーの話題は、北海道のどこぞのスキー場にオーストラリアから一杯スキーヤーがやって来るとか、その反対にスキー場に作られたリゾートマンションの住み手が居ないとか、湯沢町の中古ワンルームは、物件価格25万円でもってけ!状態だとか、・・・・
スキー場のゲレンデも海水浴場も、ガラガラじゃ気分が乗らない、スキーヤーが減ってきたスキー場は、ますます人が来なくなりリフトの維持管理も出来なくなってしまう。

我が所沢には、何故かまだ狭山スキー場(西武球場の隣にある)がある。
船橋にあったザウルスがドバイに行っちゃったから唯一の屋内型の人口スキー場。
昔は、11月にここでスキーのエッジの錆び落としをやり、12月には谷川岳の天神平で初滑り、その後何箇所かのスキー場に行って、気違いは5月の連休にまた天神平、更に気違いの中の気違いは、夏休みを早めにとって山形の月山(がっさん)の残雪で滑った。

西武グループでスキー場やゴルフ場の開発をやっていた堤義明の国土計画は解散、近所にあったプリンンスホテルの野球部(ライオンズの3軍?)の寮もなくなった。
西武鉄道もアメリカのファンドが筆頭株主になり、そういえば、バブル期に一番輝いていた経営者の一人で西武の流通を率いていた堤清二が、一昨日亡くなった。
苗場のスキー場と軽井沢の72ゴルフ場にわんさと人が押し寄せた時が西武の絶頂期、秩父から西武線が軽井沢まで伸びて所沢から直行出来るなんて話も現実感があった。
しかしバブルが崩壊、借金経営がとん挫して、全てがパーになった。

snow scootで検索したら競技会があったりスノボと同じようなアクロバチックの滑り方もある。
天は二物を与えずというが、稀に例外がある。
トニーザイラーはオリンピックアルペン競技で3つの金メダルを取り、その後映画俳優、歌手になり、そしてオースリアスキーチームの監督も務めた。



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