その生まれは1655年、ピアノはイタリア生まれ。
クリストフォリが製作したピアノの復元楽器が楽器の町、浜松の楽器博物館にある。
実は「ビアノの日」はもう一つある。
1823年7月6日、シーボルトが長崎にピアノを持ち込んだ。
これが日本にとって初めてのピアノだったと言われており、それを記念して7月6日が「ピアノの日」と制定された。
子供の頃ずっとピアノを練習していたのに今ではピアノが弾けない、日本ではこういう例は多い。
中には娘が結婚してそのままビアノが実家に残されることも、こうなれば中古のピアノ引き取り業者に処分を委ねるしかない。
我が家にもお袋が弾いていた古いピアノ(ベーゼンドルファー?)があった。
でも、お袋が弾いていた記憶はない。
妹がバイエルを練習していたがいつも同じところで躓いて先には進めずじまい。
これは70年も前の話。
90才近くのお袋からラヴェルのボレロのCDが欲しいというので100円ショップで買ってきた。
“バカモン”と一喝、連弾のを買って来いと。
池袋のHMVに行った。
クラシックの売り場なんか行ったことがないので探しようがない、お店の人に尋ねたらすぐ見つかった。
それから間もなくお袋は心臓発作で死んだが、このボレロをよく聴いていた。
あれから15年経った。
何故、連弾だったのか、もしかしたらおばさん(妹)と一緒に弾いた?
結婚披露宴で第九を歌うことになった。
前日にカラオケ店にキーボードを持って来た女の子の伴奏で社員みんなで練習した。
当日、ピアノの伴奏でドイツ語で合唱した。
ある日、本社の展示場でピアノの演奏会、若い社員がラフマニノフを弾いた。
嫌な奴がいるもんだと思った。
しかし、彼は30過ぎた頃、将来は社長かもなんて噂が立った。
頭がいい、そして同年代に人望があった。
去年、そのピアノマンが社長になった。
彼のお母さんに一度お会いしたことがある。
ざっくばらんな八百屋のおかみさんみたい、大学の理系の教授だった。
パブリックピアノというのがある、
海外では駅や空港に置かれていて誰でも弾ける。
これは以前にブログに書いたが、ホームレスが奇跡を手繰り寄せた。
この動画がきっかけで長年会えなかった息子と再会、ピアノで生計を立てられるようになった。
曲名は、アメリカのロックバンドStyxのcome sail away。