転勤で昭和49年から53年までこの坂のすぐ上に住んでいた。
その日の夜、ニュースを見て最初に目に飛び込んできたのが住んでいたマンションの大家さんの旅館の映像。
旅館は崖の傾斜地に建っていた古い木造の鉱泉宿、その倒壊映像に息をのんだ。
それから4.5日はテレビを見ては、30数年前の風景を想いだしながら泣いてばかりの日々。
仙台の中心街は、東京や横浜と違ってずっと内陸にある。
東北本線の東側は、広大な水田と死刑囚を収監していた宮城刑務所があってその先が海、4年間一度も東北本線の東側に行ったことはない。
伊達正宗が作った日本一の運河(貞山堀)がそこにあるなんて知らなかったし、住宅街が出来ていたことにも驚いた。
その住宅地が津波に直撃されて甚大な被害を受けた。
所沢市は、町長以下多数の職員が津波の犠牲になった岩手県大槌町に職員を派遣している。
去年、所沢で大槌町々長の講演会があった。
大槌の民謡歌手の少女が作った歌が紹介された。
彼女は、小学校6年の時に東日本大震災に遭った。
家族は全員無事だったが、父親が勤めていたた会社は津波で流され、仲良しだった後輩の女の子を亡す。
震災後、避難所をこの歌で慰問して被災者を励ましたという。
被災者みなが泣いた歌である。
岩手県大槌町は、現皇室にとって特別な地。「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる 」
豊かな海づくり大会で当地を訪問されたことがある陛下がヘリコプターからご覧になった眼下の惨状を謳った。
天皇皇后は大槌町の旅館で休憩されたか投宿された。
震災後各地を訪れた天皇陛下が最も心を痛められたのは大槌町ではないかと思う。
たけしのCMじゃないが、我々庶民だったら“海のバカヤロー”だ。「湧水の戻りし川の岸辺より魚影を見つつ人ら嬉しむ」
殿下は、震災前から大槌川上流に生息する「イトヨ」という小魚に興味を持っていて何度も行かれている、この歌は震災後に訪れた時のもの。

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