『海物語』と言えば、パチンコファンから何兆円もまきあげたパチンコの台のこと。
もうすぐ海の季節、じじいには関係ないが、子供たちにはワクワク。
初めて海で泳いだのは、60年以上前、銚子の犬吠﨑。
住んでいたところは疎開して、戦後も5年間暮らした九十九里浜の真ん中ぐらいの横芝というところ。
その町は鮭が回帰する南限の栗山川が流れていた。
毎年、夏になると川開きがあり、両岸には木で作った飛び込み用の台が作られた。
その川から農業用水としてポンプアップした水を貯める真四角な池があった。
深くて怖かったけどプールみたいだったので、そこでよく泳いだ。
そのプールを我々は、マス(桝)と呼んでいた。
今、ライブカメラを見たら、曇っていて誰も泳いでいない。九十九里浜のライブカメラ
そうか、まだ夏休みに入っていないのだ。
仙台時代、松島の田里津庵と言う松島湾を眺望出来るレストランがあった。
昼間に行って窓から見える海に感動した。
東京から友人が訪ねてきたので、そこに案内した。
夜は、何も見えない、漆黒のというより真っ黒だった。
まだ、そのお店があるらしい。
ヨットは、葉山で一度だけ乗った。
7.8人乗れてエンジンも付いているヨット、大して波もないのに外海に出ていかない、周りのヨットも動かずにデッキで日向ぼっこをしている。
ヨットって退屈な遊びだと思った。


最後に海に入ったのは、何時だっか想い巡らす。
もう、20年以上前、福岡に転勤したときに、博多から佐賀の方にドライブ中、眼下に息をのむような海辺が飛び込んできた。
そこは海の家もない、近所の子供たちの遊び場みたいなところ。
遠浅でコバルトブルーの海に足だけ浸した。
これからお台場や横浜の海を眺めることはあっても、海水にはノータッチだろう。