トルコは、経済も好調、次の目標がEU加盟、間違いなくイスラム諸国と西欧諸国の架け橋になると思われた。
イランは、あのアフマドネジャトが変るからイスラエルとの関係が変わるかもしれない。
親日国トルコの反政府デモは、鎮静化の兆しが見えない。
イランの大統領選挙では、現イスラム国家を築いたラフサンジャニ元大統領も候補失格となった。
両国ともイスラム保守派が民主化に待ったをかけた。
もっとわかりやすく言えば、沢山いる、そしてそれで飯をくっているイスラム教の宗教指導者が信徒を使って民主化を阻止したのだ。
ヨーロッパは、十字軍の派遣、レコンキスタ、新教との戦い、・・・などで途方もない時間と血を流した歴史がある。
今の、アメリカだって清教徒の亡命先だった。
そのアメリカは、今でも神学論争をやっている。
日本は、早い段階から宗教は心の問題と考えられ、宗教を巡る対立は少なかった。
それでも日本には、お寺が一杯ある。
それは、徳川時代にキリスト教をブロックするために、国民にお寺の檀家になることを義務付けたからである。
お寺が住民登録やら死亡確認などの事務を請け負った、云わば市役所の1階のカウンターと同じ。
当然、私のような不信心者がいたが、イスラムのような戒律なんかないから、どーてことなかった。
『元禄御畳奉行の日記』や『幕末下級武士の絵日記』を読むと、
イスラム社会ではありえない、下戸の私も吃驚だが、とにかくしょっちゅう酒を飲んでいる。
その酒盛りの場所となっているのがお互いの家だったり、近くにあるお寺だったり、料理屋だったりする。
面白いのは寺のお坊さんも酒を飲み、近所に住む女の人もそこにやってくる。
お坊さんは、地域の知識人でもあり、話も面白かったのだろう、そしてここが重要なことだが、非科学的なことを言ったりしなかったばかりか寺子屋を通じて読み書きそろばんを教えた、それも全国規模で。
日本の仏教は、葬式仏教と批判されてきた。
僧侶で芥川作家の玄侑宗久氏が、葬式仏教でいいではないかと言っておられた。
宗教は、一人一人の心の問題だと言うことだと思う。
だから宗教家が衆を頼んだり、強制はご法度。
アフガンの悲劇 片足を失って生きること
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トルコもイランも改革頓挫か?
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