多くのブロガーが恵方巻きについて書いている。
写真入りで買ってきたものや手作りしたものを紹介している。
特に、若いお母さんが作る恵方巻きは、子供が喜ぶし、一緒に作れば、女の子なら作り方を覚えるからとても良いことだ。
関西から京樽など進出してきて東京でも上方寿司は知られるようになったが、マイナーな存在だった。
たぶん、恵方巻きは何処かのコンビニで売り出して一気に広がった、
普段は食べたいと思わない上方寿司でも、季節限定とおまじないが受けた、
ハロウィンと同じで若い人や子供に受ければ段々定着する。
食べ物は、地域性があり,それは今より顕著だった。
昭和39年、仙台に転勤して驚いたのは、
★お米がうまい、
★お茶がお美味しい、
東京や大阪には、小さな運河はあるが、日本には大きな運河は仙台にしかない。
伊達正宗が仙台から海沿いに60㎞北に延びる運河を掘削、石巻から当時の江戸にお米を運んだ。
(仙台の海岸は、遠浅なので港が作れなかった。)
当時は、ササニシキやひとめぼれはなかったが、江戸市中の1/3が宮城米、何と数倍で売れたという。
東北大ボート部が日本代表としてローマオリンピックに出場出来たのもこの運河での練習の成果、
東北大が出した記録は、20年以上も破られなかった。宮城米が高値で売れたおかげで茶道が盛んになり、一般庶民も比較的高いお茶を飲むようになった。
それが定着したために、何処の会社も仙台支店のお茶が東京本社や他の支店より美味しいと言われた。
仙台は、歳末大売り出しの代わりに正月に〝初売り〟がある。
この時の目玉は、公正取引委員会が特例として認めた豪華景品入りの「茶箱」。
多くの市民が1年分のお茶の商品券を買った。
福岡に転勤して驚いたのは醤油が甘いこと。
スーパーの棚にはフンドーキンなど地元の醤油が並んでいた。
キコーマンはなくはないが、ヤマサやヒゲタの千葉の銚子勢はなかった。
鹿児島のお寿司屋さんの入り口の看板に〝キッコーマンあります〟と書いてあった。
ソニーなどの半導体工場が出来て、甘い醤油で寿司が食えるかで、置くようになった。
カウンターにもテーブルにも、地元の醤油とキッコーマンの二つの醤油が置いてあった。
丁度、その頃福岡でも納豆が食べられるようになった。
東京から転勤した人向けだったのが、納豆を敬遠していた地元の人も少しずつ食べるようになった。
長い間、長寿で知られた沖縄は、日本で唯一漬物がない。
その反対が秋田、漬物をがっこと呼んでおやつもがっこを食べるから塩分の摂取量が多くなり、それが原因で脳卒中が多い。
日本の地方行政は、何処も同じだが、秋田県だけは、立派な脳血管研究センターがあり、病院も併設している。
当時から、〝あまり漬物を食べないようにしましょう〟運動が展開されていたがなかなか変わらないらしく、今現在も短命県になっている。
食の文化はなかなか変わらない。
関東では、依然として普段はあまり太巻きは食べない。
一方、納豆巻きは、余程気位の高い寿司屋は別にして、普通の寿司屋や回転すしには必ずある。
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恵方巻きと納豆巻き
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