千葉の九十九里に疎開、終戦後も5年間暮らした。
お米の他にサツマイモ、スイカ、きんこううりの産地。
サツマイモとスイカは、嫌というほど食べさせられたのでその後全く食べなくなった。
きんこううりは、当時は甘くておいしいと思ったが、今は見かけない。
千葉ではりんごやみかんを食べた記憶はない。昔は、お米の収穫は、不安定、凶作なら即飢饉になった。
そこで、西日本で作られていたサツマイモを何とか関東地方でも栽培出来ないかと取り組んだのが、サツマイモの神様と言われた儒学者の青木昆陽。
最初の実験地が千葉の九十九里だったので小学校で一番最初に教えられた日本の偉人。
(栽培単位面積当たりのカロリーは、サツマイモ > 米)
もうひとりのサツマイモの神様が吉田弥右衛門、この人は、川越をサツマイモの一大産地に育て、江戸で焼き芋を大流行させた。
その時の焼き芋屋のキャッチフレーズが、
九里(栗)四里(より)うまい十三里
九里+四里=十三里(奇しくも川越⇔江戸間が丁度13里/7㎞×13=91㎞) >
この二人のいも神様を祭っているところが所沢の郊外にある。
そのやしろは、富の神明社と言う凄い名前。
サツマイモ栽培成功250周年にこのおやしろが建てられたということは、つい最近のこと。
今、このあたりは、お金になるサトイモを作っている。
女の人は、江戸時代からおイモが好き
「芝居蒟蒻芋南瓜(しばい・こんにゃく・いも・かぼちゃ)」江戸時代、女の人の好きな物を語呂がいいように、言葉の調子がいいように、並べたもの。
同じ意味で「芋蛸南瓜(いも・たこ・なんきん)」というのもある。
江戸時代にも、何で女の人はサツマイモが好きなのか分らないと男どもは思ったのだろう。
銅かなんかで作った大きなサツマイモが鎮座している。
これ、なでいもという、
男どもは、なんだこりゃという目つき

どういうご利益があるか知らないが、女の人は、熱心に撫でまわしていた。
叩いてみたら中は空洞だった。



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